感覚器官の限界

2010/11/13

 人が外界を認識する時、肉体の感覚器官を通じ、信号が脳に到達します。
 人は空気の振動を「音」として認識し、光子の波を波長に応じた「色」として認識します。
 人が「音」として感じることが出来る振動には幅があります。 (20Hz〜15000ないし20000Hz個人差あり)それ以外は感じることが出来ません。 この幅は人と他の動物では違っています。 例えば犬笛(16000Hz〜22000Hz)というのがあります。 猟犬を呼ぶときなどに使いますが、これは人の耳に音として認識されません。
 コウモリが夜獲物を取るために自分で出す高周波の反射をを捉えて 周りの様子を認識していることは有名です。 ここに至ると人が認識する「音」の概念と同じものではありません。 彼等は「音」と同じ振動波を空間認識に用います。 振動波から像を取り出しているのかもしれませんが、ちょっと想像しにくいですね。 勿論そこには「色」は存在しないモノクロの世界なのでしょう。 また、昆虫などには、色を認識しないものもあるようですし、 深海魚などはそもそも視覚自体が退化していて音波のみで世界を認識しているようです。
 草食動物はとても広い視野を持っています。 360度近くを見渡せるものもありますが、私たち人間の感覚ではそこまで広い視野を得たなら 吐き気をもよおすかも知れません(乗り物酔いのような)。 集中力を維持するのも大変なことでしょう。 同じ地球上に生きている生命も、種の違いによっては同じ地球環境を全く違って感覚しています。

 人は顕微鏡などを用いてかなり小さなものまで見ることが出来るようになりました。 「光学顕微鏡」は光の結ぶ像を拡大して見るものですから、「色」付きの像が見えます。 「電子顕微鏡」は「光」を見るものではない (電子線をぶつけてその反射を観測する・コウモリといっしょ?)ので 形だけのモノクロの世界しか見ることが出来ません。
素粒子などのレベルでは「存在を確認できる何者か(エネルギー?電荷?質量?)」 を観測しているようで、形すら見ることは出来ません。

 さて、左の図のようなものは教科書で昔ご覧になっていると思いますが、原子の模式図です。 これも実際の映像で見ることの出来るものではありません。
子供の頃、この図を見て私は太陽系の図を思い出しました。
荒唐無稽な発想ですが、ここで回転している電子の一個に地球と同じような環境があって、 文化的な生活を営む生命がいたとしたら、果たして人間はそれを観測できるでしょうか? あるいは、私たちの暮らす太陽系が、一つの原子のような存在で、 別の巨大な世界を形作る粒子のようであったとしたら、 私たちはその巨大な世界を認識することが出来るでしょうか?
 また、逆も言えます。 私たちが認識し得ない巨大世界、極小世界からは、私たちの世界は認識できません。 私たち人類のドラマは霧のように消えてしまいます。

 つまり、私たちの感覚は世界の全てを知ることは出来ません。 科学の力を用いることで、 生身の感覚器ではとうてい感知できないような世界を垣間見ることはできるようになりましたが、 垣間見たそれが全てであると言い切れるものでしょうか?

 時代的な科学の限界もありますが、 人は肉体の感覚器官が対応できない世界は認識が出来ません。 時代が進んで科学技術の恩恵が飛躍的に大きなものになったとしても、 人が感覚するときには、 人の感覚器に合った形に機械的に変換されたものを見たり聞いたりするしかないのです。
 人は「真実を知りたい」とよく口にしますが、変換されたもの、計算上の証明が「真実」でしょうか? 一定ルール上のものであり、ある種「信仰」に近いものです。

 現象学的に「人は主観の外に出ることが出来ない」というのは、 肉体から離れることが出来ないことをも意味します。
 人にとっての「真実」とは、主観の内に直接感覚される世界に限定されるかもしれません。

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