神様と呼ばれる4者

2011/9/3

冒頭に書いたように人間は太古から神様を崇めて暮らしてきました。
『神様』と日本語では言いますが、その姿、名前は実に多様です。
日本国内でも八百万の神様というほどです。
しかし、唯一神を崇める立場からはこれは由々しきことで、
「そんなものは神様でも何でもない。」
ということになってしまいます。
また、唯一神とは多くの場合天地創造の神様を指しますが、
「神様は信じられないけれどビッグバンの原因になる存在はあったと思う。」
みたいなことを言う人もあります。
『第一原因』『宇宙の理』『自然の摂理』という表現も
神様を信じる立場からは
「それこそ神様の権能である。」
ということになります。
神様とはいったいどういう存在なのでしょう?

神様と呼ばれる存在を見渡したところで分かりやすいのは 唯一神を崇める立場と多神教の対立です。 神様ご自身はともかくとして、宗教同士はなかなか相容れないもので 神的存在の認識の違いは強く対立を招きます。

唯一神とは宇宙の原因存在・全宇宙を支配する存在として捉えられます。 この神様に人格(人間のような感情や意志)を認める立場が宗教となり、 物理法則のような機械的な仕組みと捉える立場が無神論やそのほかの思想になります。 それに対して多神教の神々は、それぞれの権能は世界の中の部分部分を担当するにとどまります。 多くの場合にはそれぞれの人格を認め、 時として、神様同士で争いあうような神話も多く存在しています。 同じ『神様』と呼ばれる存在であっても唯一神と多神教の神々の区分は絶対的であって 全く別々の存在を指しています。

多神教の神々は、太陽・月・海・雨・風・疫病・争いなどの自然現象・事象一般 それぞれを担当する神様。 固有の山・石・木などに宿る神様。 鹿・狼・蛇・亀などの特定の種の動物に神性を感じる (この場合は神様の使いと表現されることも多い)ものなど。 これ等の場合は、原初に生活に密着した中で、人智によってはどうにも出来ない事柄への 畏怖と感謝の現れであり、それぞれに神性が宿っていると考え、 大切に扱うことによって具体的な恩恵がもたらされます。 ヨーロッパで『妖精』と呼ばれるような存在も、 日本の文化では『神様』と呼ばれることでしょう。 あるいはかつて地上に生きていた人を祀り神格化するケースがあります。 多くの場合にはその生涯の功績を讃えてのものです。 ところで、地球を訪れた宇宙人を見て、いまだ化学的な文明を持たなかった地球人が 彼等を神様と崇めたという説がありますが、 (実際にそんなことがあったかどうかは私にはどちらでも構わない事ですが) 当時の地球人が「宇宙人」と認識しなかった以上、 人にとってその存在は、山や大岩を崇めていたことと何ら差異はなかったと言えます。

多神教を信じている人々は、唯一神も受け入れる寛容さを持ち合わせますが、 多くの神様と唯一神を同列に扱うことは正しいこととは思えません。 一方、唯一神を信じる人々は、多神教の神々に対して嫌悪感を持つことが多いようです。 これも正しい判断であるとは思えません。

唯一神は唯一なので、その存在をどう感じ取るか、どんな名前で呼ぶのか、 人間側の都合なので存在そのものを分類することは出来ません。 多神教の神々は、自然物・自然現象と人間に分けて考える必要があります。 自然物・自然現象は創造されたものの形や機能です。 創造主の『分身』と考えることも可能です。 この神々は人格神ではありますが、そこに強い意志・意欲はありません。 一方、人間として生きた方々は、それぞれの『想い』を持っています。 明確な願いを持って生きた方々が殆どであるので強い意志・意欲を持っています。 その遺志を継ぐ人間が彼を祀るのです。

唯一神・自然物の神・人間であった神と、神様と呼ばれる3存在を分類しました。 4番目の存在はどんな存在でしょうか? これは日本では『神様』とは呼ばれていません。 しかし、大きな宗教の版図を造っている『仏』の世界です。 『仏』は神様とは呼ばれません。 どちらかと言えば哲学的世界観のように捉えられる傾向を持つかもしれません。 『私自身』の悟りを目指して修行し、自ら『仏』になることを目指すものです。 日本の仏教では死んでお葬式を挙げてもらうと仏様になりますが、ここで言う『仏』は少し違います。 悟り、解脱の境地に至り俗人とは一線を隔した存在となることが必要です。 (仏陀以外の誰がその境地に至れているのかは知らないのですが、 高僧が「即身仏」になるみたいな話を聞いたことがあるくらいでしょうか?) 仏教の発祥の地であるインドには『アートマン』という存在があり、 これは個人の「内なる神様」を指します。 最近では日本でもインド哲学が注目され、「スピリチュアル系」と呼ばれる人たちの間でも、 目覚めとか覚睡とか表現されていことが、この『アートマン』の自覚のように感じられます。 この『アートマン』を4番目の存在としたいと思います。

目次に戻る 次の頁